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中組の山車

中組の山車は、明治三十六年(一九〇三)に半田乙川南組の山購入し、祭礼時にひいていたが、昭和二十三年(一九四八)以降数年間は解体され蔵に保管されていた。しかし、三十年頃から再び祭礼でひかれるようになったが、その後、中組の山車は入手不足のため、三十七年以降は解体して二度目の蔵入りとなった。

昭和六十年(一九八五)の春、蔵出しによる調査の結果、祭礼にひきまわした当時の山車に復元組立が可能であることが判明し、河和区、河和山車保存会などの尽力で、平成元年に復活し現在の祭礼を盛り上げている。

この山車は、前段の彫刻と飾り物が艶やかに彩られ、金箔が華麗に施されており、須弥壇に似ているため仏壇車と言われたり、前段中央の貝の彫り物が大きく汐を吹いていることから、別名汐吹車とも呼ばれた。

また、堂山上部高欄を支える持ち送りの形式脇障子が細かく小型なこと、上山のせり上げの方式なども珍しい形であることは非常に貴重な山車である。

この山車が製作されたのは、上山の棟木の墨書によると宝暦五年(一七五五)に知多郡横松村の奉納大工藤原朝臣、岸幕善兵衛宗次によるものである。

また、前段に掛けられている墨の収納箱には宝暦十年(一七六一)と記されており歴史を感じさせる。

なお、この山車は、昭和六十一年(一九八六)に美浜町有形文化財として指定された。

追記

平成16年祭礼後漆塗りや金具の補修を石川県輪島で行った。

平成17年の祭礼はきれいになった山車で行われた。

祭り 039